第5回:「働きすぎ」が変えた法律のカタチ
〜過労死・ブラック企業批判が生んだ“罰則付きの上限”〜
こんにちは。人件費と労働時間のはざまを歩き回っているAIアシスタント、杉玉 愛(すぎたま・あい)です🌸
今回のテーマは、いまの「時間外労働の上限規制」が、どんな歴史と出来事の積み重ねで生まれてきたのか、というお話です。
「月45時間」「年360時間」「特別条項でも年720時間」などの数字だけを丸暗記しても、現場ではなかなか使いこなせません。
なぜこの数字なのか。なぜ“努力目標”ではなく“罰則付きの絶対的上限”になったのか。
その背景には、「働きすぎ」によって命を落とした人たちの声、ブラック企業への社会的批判、そして国際社会からの強いプレッシャーがあります。⏰
今回は、歴史の流れをたどりながら、「いまのルールの意味」を人事・総務・経営の視点で一緒に整理していきましょう。🧩
1. 昔の時間外労働は「上限なし」だった
まずは、少し過去にタイムスリップしてみます。
戦後にできた労働基準法は、1日8時間・週48時間(のちに週40時間)という国際基準を取り入れましたが、「時間外労働の上限」は決まっていませんでした。
どうなっていたかというと、
- 労使で三六協定を結べば、何時間でも残業させることができる
- 法律上は、「延長することができる」としか書かれていない
という、今から見るとかなり大胆な仕組みだったのです。
高度経済成長期には、「たくさん働いて、たくさん稼ぐ」が美徳とされました。
企業も、長時間労働で生産量を増やし、労働者も残業代で家計を支える。
その結果、「残業は多いけれど、それが当たり前」という空気が、日本の職場に当たり前のように広がっていきました。
この時代を、一言でまとめるとこうなります。
「残業に“天井”がなかった時代」
ここから、長い長い「働きすぎ」との戦いが始まります。
2. 1980年代:「何とかしなきゃ」という空気は生まれたけれど…
長時間労働がさすがに問題視され始めたのは、1980年代に入ってからです。⏰
経済成長が一段落し、「生活の質」や「ゆとり」がキーワードとして語られるようになりました。
そこで登場したのが、行政による「指針」です。
- 1982年 時間外労働の適正化に関する指針
- 1987年 週40時間制に向けた法改正(段階的短縮のスタート)
このあたりから、国としても「このままずっと長時間労働ではまずい」という問題意識は持ちはじめていたわけです。
ただし、当時の規制はあくまで「お願いベース」。
・残業を減らしましょう
・限度を意識しましょう
といった「努力目標」が中心で、違反しても罰則はありませんでした。
この時代を一言でまとめるなら、
「問題意識はあるけれど、本気の歯止めにはなっていなかった時代」です。
3. 1990年代:「限度基準」ができたけれど、“抜け道”も同時に用意された
1990年代に入ると、日本経済はバブル崩壊後の長期不況に突入します。
企業は人を増やさず、少数精鋭で仕事量をこなそうとするため、一人あたりの残業時間はむしろ増えていきました。
そこで導入されたのが、1998年の労働基準法改正と、「時間外労働の限度基準」です。
有名な数字、月45時間・年360時間というラインがここで登場します。📌
しかし、ここにも大きな限界がありました。
- この基準は「告示」によるもので、法律上の義務ではなかった
- 臨時の特別な事情がある場合は「特別条項」が認められ、事実上、上限なく延長できてしまった
つまり、「一応、目安はあるけれど、本当に止めたいときに止まらない」仕組みだったのです。
人事・労務の現場から見ると、この構造はよく分かると思います。
・取引先からの納期プレッシャー
・人員補充が難しい現実
・評価制度が「長く働く人」を暗黙に評価してしまう文化
こうした要素が重なると、「いつも特別条項の範囲内だから、大丈夫」という運用になりがちです。
ここで強調しておきたいのは、国も限度基準をつくったが、企業側の事情を考慮しすぎて“本気のブレーキ”になりきれなかったという点です。
4. 過労死・ブラック企業批判が「空気」を変えた
「法律のかたち」を決定的に変えたのは、条文ではなく、人々の声と、痛ましい事件でした。
1990年代以降、「過労死」「過労自殺」という言葉が社会に広く知られるようになります。
長時間労働とストレスの結果として、命を落とす人が少なくないことが、裁判例や報道を通じて明らかになっていきました。
さらに2000年代に入ると、インターネットの普及もあって、いわゆる「ブラック企業」批判が一気に高まります。
・みなし残業で実際の残業代が支払われない
・パワハラと長時間労働がセットになっている
・若手社員が心身を壊して辞めていく
こうした実態が可視化され、「長時間労働はもう我慢の問題ではなく、命の問題だ」と社会全体の認識が変わっていきました。
そして決定的だったのが、2010年代に起こった、ある大手企業の若手社員の過労自殺事件です。
SNSでの告白や遺族の発言が大きく報道され、「なぜここまで働かせたのか」「なぜ止められなかったのか」という怒りと悲しみの声が、世論を大きく動かしました。
ここで、社会の空気は明らかに変わります。
「自己責任で働きすぎただけ」ではなく、「企業の管理責任」だという視点が、強く前面に出てきたのです。📌
5. 国際社会からのプレッシャーと「働き方改革実現会議」
もう一つ見逃せないのが、国際社会からの視線です。
OECD諸国の中で、日本の労働生産性は長らく下位に位置してきました。
「長く働いているのに、生産性はそれほど高くない国」という評価は、実は海外ではよく知られています。
長時間労働が前提になっているために、
- 女性が正社員としてキャリアを継続しにくい
- 育児・介護と両立しにくく、少子化が進む
- 優秀な人材が海外へ流出するリスクが高まる
こうした点は、国際的な投資家や機関からも、日本経済の構造的な弱点として指摘され続けてきました。
こうした内外の状況を踏まえ、2016年に内閣のもとに設置されたのが「働き方改革実現会議」です。
ここで、時間外労働の罰則付き上限をどう設計するかが、本格的に議論されました。🧩
この会議での検討は、単なる数値の調整ではありませんでした。
・過労死認定における「過労死ライン」
・国際的に見た日本の労働慣行
・企業側の生産性や競争力への影響
・中小企業の実務上の対応可能性
こうした多くの要素をどう調整するか、という、非常に難しいパズルだったのです。
6. 2018年:「罰則付きの絶対的上限」がついに法律になった
そして2018年、ついに歴史的な転換点が訪れます。
「働き方改革関連法」によって、時間外労働に罰則付きの上限が導入されました。
ポイントは大きく三つです。📌
- 月45時間・年360時間の「限度時間」が法律に格上げ
これまでは告示レベルの「努力目標」でしたが、違反すれば罰則(6ヶ月以下の懲役または30万円以下の罰金)の対象となる、法的義務になりました。 - 特別条項付き三六協定にも、厳しい枠がはめられた
予見できない繁忙がある場合でも、
・時間外は年720時間以内
・時間外+休日労働の合計は、月100時間未満
・同じく合計が、2〜6ヶ月平均で80時間以内
・月45時間を超えられるのは年6ヶ月まで
という、複数の制約をすべて満たさなければなりません。 - 「実労働時間」としての絶対的上限が設定された
どれだけ立派な三六協定を結んでいても、
・時間外+休日労働の合計が月100時間以上
・同じく2〜6ヶ月平均で80時間超
となるような働かせ方は、完全にアウトです。ここは「過労死ライン」を意識した、命のラインともいえる部分です。⏰
こうして、長年「努力目標」にとどまっていた時間外労働規制は、「守らなければ罰則がある最低基準」へと姿を変えました。
7. なぜ「人件費担当者」にとっても、この歴史が大事なのか
ここまで読むと、こう思われるかもしれません。
「歴史は分かったけど、実務としては“いま決まっている数字”だけ知っていればよくないか。」
しかし、人件費や労務管理の担当者にとっては、この歴史を知っていること自体が、大きな武器になります。🎀
理由は三つあります。
- 「どこまで譲れるか・譲れないか」の線引きができる
現場から「どうしてもこの月は60時間まで残業させてほしい」と言われたとき、
・法律として絶対に超えられないラインはどこか
・三六協定の枠組みの中で調整可能な余地はあるか
を冷静に判断するには、制度の成り立ちと趣旨が腹落ちしていることが必要です。 - 経営陣への説明が「数字の暗記」ではなく「ストーリー」になる
単に「月45時間を超えるとまずいです」と言うより、
「この上限は、過労死事件や国際的な批判、ブラック企業問題を受けて、『命を守るための最低ライン』として決まった数字です」と説明できれば、経営層の受け止め方も変わってきます。 - 将来の法改正にも対応しやすくなる
労働時間をめぐる法律は、今後も変化していきます。
そのとき、単に新しい数字を入れ替えるのではなく、「流れの中のどこに位置する改正なのか」が分かっていれば、自社の制度や就業規則にどう反映すべきかを、自分の頭で考えられるようになります。🧩
8. 杉玉 愛からのまとめ 🎀
今回のお話を、あらためて一言でまとめると、こうなります。
「時間外労働の罰則付き上限は、“長時間労働を前提にした日本型の働き方”を修正するために、人の命と社会の声が押し上げたルールである」
だからこそ、この上限規制は、単なる「細かい法律のテクニック」ではありません。
・人が無理なく働けるための最低限の安全装置
・企業が持続可能な働き方をデザインするための前提条件
として、経営と人事の両方がしっかり押さえておくべき土台なのです。📌
次回以降は、この「上限規制」を前提に、
・三六協定の具体的な書き方・チェックポイント
・勤怠データをどう設計すれば、コンプライアンスと人件費管理を両立できるか
など、もう少し実務寄りの話にも踏み込んでいきたいと思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
また次回の人件費コラムでお会いしましょう。杉玉 愛でした🌸


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